チェンバロ製作

チェンバロの種類

クラヴサン工房アダチで製作しているチェンバロについて国別に特徴の解説をさせていただきます。

イギリスモデル(イングリッシュモデル)

一般的にイギリスは16世紀からヴァージナルがチェンバロの総称として使われていた。今あまり一般では見かけない長方形のチェンバロが多く作られており人気があった。その他イタリアタイプ、ルッカースチェンバロが使用されていた。18世紀にはスピネットと呼ばれるおおざっぱに三角形をしたチェンバロが人気であった。現在一般的といわれるピアノ型の土着のチェンバロにはイタリアの影響とフランドルの影響が混在し、その後カークマンの楽器が人気を博すがこの楽器はルッカースの系統といってよい。わたしが製作したモデルはウイリアム・スミスのモデルでイタリアの影響を感じると同時にヘンデルとの関係が真実であるとすれば彼の関係のドイツの町ハノーバーのアントン・ファーターの楽器にも共通点が見出せる。前出のスピネットもそうであるが、この楽器は全弦真鍮弦が使用されており音色はイタリア風である。ヘンデルの好みだとすれば、オペラの通奏低音や歌の伴奏にはとても相性が良いので彼の所有だったのもうなずける。

イタリアンモデル

イタリアモデルは基本的に楽器側板および響板に糸杉材を用いる。響板にモミ、トウヒを使用するものもある。しかしイタリアタイプが生まれた背景には糸杉材が出発の原点にある。

この地中海沿岸に生える50メートルにもなる高木で硬質な木材は弦楽器に鍵盤をそなえたチェンバロに利用するイメージには楓材より手軽であったかもしれない。この硬質な木材の楽器利用を考えるとできるだけ薄く3mm~5mm程度で使用するのは自然であった。このことから底板とそこに作り上げられた内部構造材による構造に強度の殆どを持たせるイタリアタイプのチェンバロ構造が生まれた。ここにギターやリュート、ヴァイオリンに似たひじょうに薄い外側張りぼて式ボディーをもつチェンバロが生まれた。このチェンバロは薄く硬質なボディーの特徴から音の立ち上がりの良い明るくパワフルな音響を持つこととなる。発音された音は瞬時に薄いボディー全体に響き渡り、小気味いい切れ味はドラマチックな表現に威力を発揮する。新しい芸術を生み出すイタリアの力強さと生の爆発するエネルギーを表現するイタリアバロック音楽には欠かせないチェンバロでありこの爽快感は一度虜になったらやめられない。

もうひとつのタイプは楽器側板をポプラで作るタイプ比較的後期に作られ、音域も5オクターブと大型である。音色は少し落ち着いてまた容積も大きいため低音の響が豊かになっている。より広い範囲のバロックのレパートリーを一台で引きたい方にはお勧めです。

フレンチモデル(フランスモデル)

一時代前のルッカースの楽器は17世紀後半のフランスで名器として流行する。このときフランスの音楽の要求に合わせるため、ルッカースの楽器のほとんどが音域拡大、二段鍵盤への改造を受けた。この過程で新しい8フィートが一列追加された。このため楽器の強度を保つために弦の張力を約半分に下げたと思われる。これらの改造はルッカースの音色を変化させた。弦をはじく位置をよりやわらかくする位置に変更し、音域拡大による楽器本体の拡大は共鳴箱としての容積を大きくしたためより低音の響が豊かになった。ここにいつしか彼ら好みのフランス独自のチェンバロが登場することとなった。豊かな低音に支えられたやわらかな輝きのある高音はバランスが良くその優雅さは洗練の頂点に達したフランスバロック音楽に欠かせない象徴的なものとなった。

パリを中心にルッカースの楽器の改造を手がけその製作法を学んだパリのチェンバロ製作家たちはそれまでの土着的製作法やめルッカースの製作法を踏襲することになった。パリではほぼそのスタイルは多少の差をのぞいてパリのスタイルと呼べる基本形が出来上がったといっても良いと私は考えている。特にブロンシェ、タスカンはフランスパリの魅力的名器を多く作り出した。実はブロンシェは作る楽器ごとに目に見えない内部構造に工夫をしていた。その工房を引き継いだタスカンも同様に音響的工夫を内部構造に施している。

バロックのレパートリー全般特に後期バロックの名曲を楽しむなら洗練の極みフランスモデルが最適です。初期フランスモデルはフランスの土着的製作法と思われるイタリアのタイプの構造に似た構造を持つ。ティボーのチェンバロは胡桃材が用いられ、比較的小ぶりな楽器から芯のある力強い音色を持つ。独特の陰りをもつイタリアンを創造させる音色である。フランスバロック音楽の初期の作曲家にはインスピレーションを掻き立てる楽器です。

ルッカースモデル

 16世紀から約1世紀間に渡り活躍したチェンバロ製作家一族のチェンバロをもとにしたモデル。この一族の楽器の魅力は、アルプス以北のチェンバロ製作の一典型を作り出した。初代ハンス・ルッカースは当時スペイン、ポルトガルの国際貿易の中心都市として栄えていた現在のベルギーのアントワープにたぶんドイツ方面から移住してきたと思われる。彼がこの町を選んだのには理由があった。アントワープは全世界に楽器を送り出す最良の条件を備えている町というだけでなく、当時音楽の指導的立場にあったフランドル・フランス音楽の音楽家たちの活躍の地域であった。彼らとの交流は楽器販売の後押しとなったと思われる。ハンスはチェンバロ製作に当初から量産のアイデアを導入することを考えていたと思われる。そのために考え抜かれた基本図面により楽器ケースは量産され、音質に重要な響板は時間をかけ腕のいい職人によって丁寧に仕上げられている。この基本設計はその後一族3代に渡ってほとんど変えられることがなかった。このルッカースのチェンバロは約100年後のフランスで人気を博し、多くの楽器がフランス風に改造されその後のフランスのチェンバロ製作の方向を決定づけていった。

 ルッカースのチェンバロの基本は一段鍵盤8フィート一列、4フィート一列の楽器で現在一般に聴かれるフランスタイプのチェンバロとは違い、弦の張力がフランスの楽器のほぼ2倍程度あった。この高張力の楽器の音色こそルッカースが当時から名器として形容された"いぶし銀の輝き"と称えられた高次倍音が抑えられた独特の音色を生み出していると思われる。アルプス以南のイタリアタイプの明るく発音の良い軽やかでドラマチックな音色と対照的な重量感のある男性的な力強さと深い艶のある音色はわれわれを時代を超えていつまでも魅了する。ルッカースなら迷わず、一段8フィート一列、4フィート一列の高張力をお勧めする。

ドイツモデル(ジャーマンモデル)

バロック時代のドイツはおおくの小国に分かれており、チェンバロ製作もドイツ様式というほどのものはない。各宮廷によりイタリアの音楽家やフランス、フランドルなどまちまちであり楽器もそれぞれの影響を受けたと思われる。ドイツ土着、イタリア、フランドル、フランスなどそれらの混血チェンバロであり本当にバラエティーに富んでいる。ただし代表的な製作者のフライシャー、ハス、ツェル、ミートケなどその構造とアイデアはイタリア的であると思われる。チェンバロを巨大な弦楽器、リュート的発想で捕らえている感がある。もちろんフランスチェンバロ音楽の出発点においてもこの当時人気のあったリュートの音楽語法から多くのインスピレーションを受けているので音楽の面では共通のイメージがあったと思われる。ドイツの楽器で特に注目されるのはやはりバッハとの関係であろう。バッハとの関係が明らかな唯一の楽器はベルリンのミートケで彼の楽器の構造は特にイタリアの影響が強い。しかし音色はよりまろやかでリュートを思わせる。バッハが晩年ラオテンヴェルクと呼ばれるガット弦のチェンバロを何台も所有していたことを思うと彼の好みは弦楽器的響を好んだのかもしれない。